大塚宣仁について
人生を変えた出会い
一番欲しかったのは、安心を感じられる場所だった
「安心できる場所が欲しい」
子どもの頃、一番強く心に残っていることは何かと聞かれたら、この感情です。
私の両親は国語の教師で、父はとんでもなく厳しい人でした。
父の逆鱗にふれるたびに、怒鳴られたり、殴られたり、そんな記憶ばかりが残っています。とにかくスパルタ教育で、幼い頃から漢文を勉強させられたり、聞いて良い音楽はクラシックだけという家庭でした。
テストは100点でなければ褒めてもらえない。99点だと「なんでこれを落としたんだ!」と怒鳴られる。勉強は好きではなかったけれど、ただ父にほめてもらいたくて、一生懸命勉強しました。それ以外、父に認められる方法が見いだせなかったからです。
今の私が、意欲の高い性格だと言われるのは、この幼少期が原因かもしれません。
私には兄と弟がいました。長男である兄へのDVは特に厳しく、それを見るのが辛くてしかたなかった。父が帰宅した時の機嫌、ちょっとした表情の変化、声色、一挙一動に神経をとがらせる日々。
学校でも、周囲の反応を過度に気にするようになっていきました。相手の顔色が曇ると、いたたまれない気持ちになってしまうのです。
「楽しそうにしている友達と自分は違う。僕には安心できる場所がどこにもない」
「どうして、こんなに辛い思いをしなくてはいけないんだろう」
本当に孤独で、辛くて、辛くてしかたありませんでした。そして5年生の夏、とうとう学校に行くことができなくなりました。
今になってわかることは、父は一人っ子で、親の期待を一身に受けて育ち「医者になれ」と言われていた。けれど、三浪しても医大に入れず、国語の教師になりました。父は、期待に応えられなくて辛かったのでしょう。その思いを私たちに託していたのだと思います。
不登校と自殺未遂
私が小学6年生の時、母は離婚を決意します。
両親が離婚して、私たち兄弟は母と暮らすことになりましたが、生き辛さは消えませんでした。今度は兄がひどく暴れて、私は眠れなくなり、精神安定剤のおかげでなんとか生きている状態でした。
中学生になって自殺未遂を起こしました。精神安定剤は、飲み続けると効かなくなる薬です。いくら飲んでも効かなくなり、頭も正常ではなくなってくる。それで、1ヶ月分の薬を一気に飲んで、走ってくる車の前に倒れ込んで「死んでしまおう」と思いました。幸い、車は直前で止まったので無傷でしたが、気絶して、気づいたら警察にいました。
あの時、顔の前でタイヤが止まった光景。「ああ、死ねなかった」という感情は、ずっと脳裏に焼きついています。
その後、これ以上薬を飲まないように、自殺もしないように、精神病院に入院させられました。
子供だったので気づきませんでしたが、私はとても人に恵まれていました。そんな私を、周りの人はとても大切にしてくれたのです。
精神科の先生には、カウンセリングでずっと支えてもらいました。小学校の担任の先生は、病院にマンガをたくさん持ってきて、優しく励ましてくれた。中学校の担任の先生も、「君ほどじゃないけど、僕も悩み多き少年時代を過ごしていたんだよ。でもそれは悪いことじゃないんだよ」と手紙をくれました。その手紙は今も大切に保管しています。
退院してからテストを受けに学校へ行くと、終わった後、バイクでファミレスに連れて行ってくれた。そして、私が食事をしている間、テストの採点をしながら一緒に時間を過ごしてくれたのです。何を言うわけでもなく、ただそばにいてくれました。
「高校に行きたい」
不登校は、小学5年生の夏から中学3年生の2学期まで続きました。
中学3年生の夏、母が顧問をしていた同好会の生徒が、家に集まるようになりました。みんなとても楽しそうで、私にギターを教えてくれたり、遊んでくれたりしました。その集まりを見ているうちに、「高校に行ってみたい」と思うようになります。
その後、ポストの中に「個別指導塾」のDMを発見。「高校に行きたいから勉強したいけど、普通の塾ではついていけないだろう。でも個別指導塾ならできるかもしれない」と、母に話します。
この塾に、人生を変える出会いが待っていました。
塾長は、関西学院大学で心理学を学び、京都大学大学院の心理学に進んだ人でした。母から私の状態を聞いた先生は、「そうか、これから毎日学校へ行け。行けなくても4時になったら、毎日必ずここに来い。そして、やれるだけ勉強していけ」そう言いました。
それから毎日、遅い時は10時ころまで勉強しました。まるで、乾いた砂地に水が染み込むようだった。休みの日も「お前、何やってるんだ?塾に出てこい」と電話があって、採点している先生のそばで、掃除をしたり、勉強をしたり、先生と友達のギターの練習を眺めたり。先生はそうして、いつもそばにいてくれました。
そのおかげで、10月末、学年最下位だった学力テストの成績が、2月には30番に。そして、高校に合格したのです。
受かった時も、先生から電話で呼び出され、「今が大事だ。みんなここで勉強しなくなるから今やっとけ」と、高校の勉強の仕方を1ヶ月も教えてもらいました。
この勉強で勢いづいた私は、高校では、常に1番か2番の成績。先生に出会わなかったら、筑波大学にも行けなかったと思います。
心理学に助けてもらったから今の自分がある
大学受験の頃、改めて「本当は何がしたいんだろう」と自分に問いかけました。
その時、「ほんの数年前まで不登校で、精神病院に入院して、自殺未遂までした自分が、普通の人と同じように生活して大学を選んでいる。なぜこんな事ができたんだろう」と不思議な気持ちになりました。
「塾の先生も精神病院の先生も、みんなが私の心の状態を気にかけて、心理学でアプローチしてくれた。だから、今の自分になれたんだ」
生き辛かった時に、手を差し伸べてくれる人がいて、安心安全の場を作ってくれた人がいて、心理学に助けられた。だから自分はここにいる。
「社会に出る前に、自分を救ってくれた心理学を学びたい」という思いがこみ上げてきました。
人を大切にしたい。人に寄り添いたい。
落ちこぼれてしまう人、生きるのが辛い人に手を差し伸べられる自分になりたい。
私は心理学を学び、現在、「人の心を支える心理学」を1つの柱とした、経営支援の仕事をしています。
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